編按:2019年4月7日時,Mahayogi Mission在日本京都舉行了「神性示現祭典・Sanatana Dharma Avatara Mela」,目的是為了感謝曾經誕生於這個世界上的聖者們,慶祝他們的存在,向他們獻上敬意,藉由知曉他們的故事與生活方式,更加激發每個人的熱情,立志更靠近他們所了悟到的那永恆不滅的真理。在台灣的我們雖然無法親身參與日本的慶典,同一天仍相聚在一起,分享了許多喜悅與感動(當天紀錄之連結)。以下的文章是當天活動中,其中一位參與者所獻上祝辭,來讀一讀吧!
撰文:Radha
為了對方的喜悅,溫柔地、竭盡全力去做自己所能做到的。這是四年前Yogi 桑所告訴我愛人的方式。我想要這樣子愛著神。
每天在有限的時間裡,必須做的和想做的事情一直增加,對於現在手上的這些工作,我有一個強烈的直覺――它們是來自神的恩寵,賦予我機會去學習如何服務別人。然而當生活裡必須面對很多不擅長的事情時,自己的情緒和焦躁無所遁形,反覆的挫折讓我的心倍受考驗,懷疑也隨之而來,忍不住產生墮落的念頭,讓我想順著心去逃開一切,屈服於自我之下。但是,如果我繼續往那個方向,代表只會距離Yogi桑越來越遙遠!!――這個想法是唯一能讓我冷靜下來的出口。我不可以放棄,更不要浪費時間在不必要的想法當中,我還在宇宙的幻象裡,如果Yogi桑所說的永恆不變的幸福真的存在,而我卻就此停住,我也無法原諒這麼懦弱的自己。
所幸,所有挫敗的想法最終還是輸給了Yogi桑給我的愛的力量。每一次和Yogi桑在一起的時候,就像是已經見到神,有種超越空間、時間、這個世界的各種二元性限制的感覺,是我過去從不曾體驗過的幸福,那樣的幸福我多麼渴望永遠不要停止。
但是一旦回到日常生活中,它馬上就消失不見。我的內心吶喊著想到神的身邊,混亂、錯亂的心,反覆煎熬著。有好幾次的噩夢中,夢到我還是執著於這世界上的快樂,夢境是如此寫實,讓我體會到自己對神的愛是不純粹的。想著神是浪漫的,但我應該要更踏實的努力在行動上,把神放在心裡然後溫柔的去對待每一個人,並且去履行現在眼前的責任以及義務,如此才有可能淨化那份愛。
真正的去愛著神,做著神要我做的事情、說著神要我說的話、想著神要我想的事,最終一定會只剩下神在我的心中,我要和我的愛人永遠的在一起,這是我這輩子唯一的目標。我要努力克服對於無法預知的未來所產生的害怕、不安,沉著地做著眼前的事,把隱藏在心中的感情全部流向無邊無際的愛的海洋。
我已經將這一生託付在神的手裡,只為了祢而活、只為了祢而行動。
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ラーダー
「優しさをもって、ただ相手の喜びのために尽くすこと」
四年前にヨギさんから授かった、他者への愛の教えです。私はそのように神を愛していきたいです。
一日の時間は限られていますが、やるべきことと、やりたいことはどんどん増えています。その中で、一つの強い直感があります――目の前にあるすべての仕事は神からの恩寵であり、どのように他人に奉仕するかを学ぶ機会だということです。
しかし、生活の中でたくさん苦手のことに向き合わないといけない時、感情の起伏や焦りがあらわになって隠せなくなります。ある時、私の心は繰り返す挫折で疑いが生じてしまって、大きな試練に見舞われました。疑いの心に従って逃げ出して、エゴに屈服したいという堕落の思いさえも出てきました。でも、もしそういう方向に行ってしまったら、ヨギさんとの距離はどんどん離れていってしまう――唯一この考えだけが自分を冷静にさせる方法でした。諦めてはいけない。余計な思いに時間を費やすこともだめだ。私はまだ宇宙のマーヤーの中にいるのだから、ヨギさんが教えられる永遠で変わらない幸福が本当に存在するなら、前に進まず止まってしまうような、こんなに弱気な自分では絶対にいけない!
幸いすべての挫折の思いはヨギさんからいただいた愛の力に屈服しました。毎回ヨギさんと一緒にいる時は、時間も空間もこの世のあらゆる二元性を超えたような、神に直に会っているような感じがします。それは他では体験したことのない幸福です。そのような幸福は永遠に続いて欲しい。
でも日常生活に戻ると、それは消えてしまうのです。神の側に行きたい!と心は叫んで、混乱して、苦しみを繰り返します。何回もこの世界の快楽に執着する悪夢を見ました。夢の内容はとても鮮明で、自分の神への愛はまだ純粋ではないと気づかれました。神を思いつめることはロマンチックですが、もっと着実に行動するべきです。神のことを常に心において、優しく一人一人に接して、目の前の責任と義務を果たすことによって、その愛を浄化することができると思います。
本当に神を愛し、神の思し召しで行為をし、神の思し召しで言葉を話し、神の思し召しで思いをもつ。そうすると、最後には私の心には神しか残らないでしょう。私の愛する御方とずっと一緒にいたいのです。それがこの人生の唯一の目標です。予知できない未来への恐怖や不安を克服して、落ち着いて目の前のことを果たし、心の中に隠している感情を全部無限の愛の大海に開け放っていきます。
もう今生を神に預けました。貴方だけのために生きていく。貴方だけのために行動していきます。
四年前にヨギさんから授かった、他者への愛の教えです。私はそのように神を愛していきたいです。
一日の時間は限られていますが、やるべきことと、やりたいことはどんどん増えています。その中で、一つの強い直感があります――目の前にあるすべての仕事は神からの恩寵であり、どのように他人に奉仕するかを学ぶ機会だということです。
しかし、生活の中でたくさん苦手のことに向き合わないといけない時、感情の起伏や焦りがあらわになって隠せなくなります。ある時、私の心は繰り返す挫折で疑いが生じてしまって、大きな試練に見舞われました。疑いの心に従って逃げ出して、エゴに屈服したいという堕落の思いさえも出てきました。でも、もしそういう方向に行ってしまったら、ヨギさんとの距離はどんどん離れていってしまう――唯一この考えだけが自分を冷静にさせる方法でした。諦めてはいけない。余計な思いに時間を費やすこともだめだ。私はまだ宇宙のマーヤーの中にいるのだから、ヨギさんが教えられる永遠で変わらない幸福が本当に存在するなら、前に進まず止まってしまうような、こんなに弱気な自分では絶対にいけない!
幸いすべての挫折の思いはヨギさんからいただいた愛の力に屈服しました。毎回ヨギさんと一緒にいる時は、時間も空間もこの世のあらゆる二元性を超えたような、神に直に会っているような感じがします。それは他では体験したことのない幸福です。そのような幸福は永遠に続いて欲しい。
でも日常生活に戻ると、それは消えてしまうのです。神の側に行きたい!と心は叫んで、混乱して、苦しみを繰り返します。何回もこの世界の快楽に執着する悪夢を見ました。夢の内容はとても鮮明で、自分の神への愛はまだ純粋ではないと気づかれました。神を思いつめることはロマンチックですが、もっと着実に行動するべきです。神のことを常に心において、優しく一人一人に接して、目の前の責任と義務を果たすことによって、その愛を浄化することができると思います。
本当に神を愛し、神の思し召しで行為をし、神の思し召しで言葉を話し、神の思し召しで思いをもつ。そうすると、最後には私の心には神しか残らないでしょう。私の愛する御方とずっと一緒にいたいのです。それがこの人生の唯一の目標です。予知できない未来への恐怖や不安を克服して、落ち着いて目の前のことを果たし、心の中に隠している感情を全部無限の愛の大海に開け放っていきます。
もう今生を神に預けました。貴方だけのために生きていく。貴方だけのために行動していきます。
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