2015年8月24日 星期一

京都體驗・京都の体験(上編)



編按:這是Vivi第一次去京都,第一次見到Shri Mahayogi,經過六天的旅程回臺灣後所寫下的心得。感謝Vivi真誠的分享!

撰文者:Vivi

其實這次會決定去京都,完全是為了想看看到底這些在那裡學習的人到底在做什麼,我非常好奇很多事情。同時也覺得到底Yogi桑是何方神聖,能讓這麼多人為他傾倒?

在京都的第一天參加了Kirtan,在Mirabai桑優美的歌聲裡陶醉,看到了一位弟子哭得很傷心,接連很多人也默默掉了一些眼淚,當時看到覺得哭得最慘的那位心裡一定有很多的不開心的事。

隔天體位法課程裡的冥想時間,剛好又坐在這位昨天我覺得她哭很慘而且心裡一定有很多不開心的事的資深前輩後面,我看到她身體顫抖得很厲害, 心裡又更確定覺得她是真的不快樂。結束課程後,我靠過去跟她聊天,問她學習這個教導有多久時間了, 她回答說2003年開始(我心裡又想:天啊 !12年了! 是不是我學習12年後還是有這麼多解不開的不快樂)。所以我回答她:「哇!你還是對這個教導很有熱情耶!」

隔天的晚上我見了Shri Mahayogi,說真的一直到要見他的時候我都沒有期待感,甚至有害怕的感覺,也不願意坐在靠近Yogi桑的位置。那一晚我看到很多資深前輩看Yogi桑的眼神,眼睛都是在發亮的眼神,像是看到鑽石的目不轉睛那種眼神,崇拜的眼神;坐在我旁邊的Mirabai桑,開始止不住眼淚的哭,縱使這時候Yogi桑連開口都還沒有,我感覺像是小孩看到爸爸媽媽的那種愛的眼淚,或許感染了我,我也開始眼淚掉個不停,甚至停不下來,我連Yogi桑的眼睛都不敢看,羞愧得不敢直視他,不敢跟他對到眼。

在這幾天的體位法課程(asana)、早起的冥想……等豐富的行程下, 接收到了很多教導,我那晚就是處在一個身體不舒服又每天都挨餓的狀態下見了Yogi桑 。(關於挨餓這件事情,因為自己有習慣吃飯吃東西的模式,甚至時間的準確性,住在別人家一切就是要照著別人家的規則走,所以在完全不同的規則下我產生了飢餓感)

回家後大家回我們住的地方吃飯。開心吃飯的同時,突然我問了那前兩天哭得很厲害的資深前輩,我說你怎麼哭成那樣,可以知道你當下在想什麼嗎?這時候旁邊的人開玩笑的急著回答說,她以前哭的更厲害,現在已經收斂很多,她就是很愛哭這樣。她自己回答說,只要她懷抱著想跟神靠近的想法,眼淚自然而然會流出來,當她哭的時候,她並沒有特別在想什麼,只是感覺到被神所包圍著,並不是我想的難過的眼淚。我突然發現:有時候用眼睛看到的不見得是真的,是你的腦袋幫你創造出這個想法,以為是你想的那樣,但實際上並不是自己想的那樣!發現為什麼Lynn老師一直說的「我們需要知道真理、真實」 ,這件事情讓自己發現,我的腦袋創造的想法掩蓋了真實的自我,它會騙我,讓我看到不是真實的樣子,也會因為以前有過的經驗而產生的習慣想法。

(待續)

下編連結


今回京都に行くことを決心したのは、京都でヨーガを学んでいる人たちが何をしているのか、自分の目で確認したかったからです。
そして、ヨギさんがどのような存在か、どうしてたくさんの人たちがヨギさんに惹かれているのか、それも知りたいと思いました。

京都での一日目は、キールタンに参加しました。ミラバイさんの美しい歌声に酔いながら、一人の弟子が悲しそうに泣いている様子を見ました。多くの人が泣いていましたが、その時一番泣いていた弟子を見て、たぶん心の中にたくさん悲しいことがあるのかなと、その時私は思いました。
翌日のアーサナ・瞑想クラスで瞑想をする時、私は昨日一番泣いていた弟子の後ろに座りました。彼女は体が震えるほど泣いていて、私は彼女が本当に悲しんでいるということを確信しました。

クラスが終わった後、私は彼女に声をかけて、どのくらいこの教えを学んでいるのか聞きました。彼女は2003年からですと答えました。それを聞いて、私はびっくりしました。えっ? 12年?! 12年間学んでいても、そんなに多くの解決できない悲しみがあるの?! じゃあ、私はどうしたらいいの?と思いました。
そして私は彼女に「wow、それでもあなたはがんばって続けているのですね」と言いました。

その日の夜、ヨギさんにお会いしました。実は、ヨギさんに会う前は、全然期待をしていなくて、恐怖さえ持っていました。ヨギさんの近くに座りたくなかったです。

サットサンガでは、たくさんの先輩たちのヨギさんに対する熱い眼差しを見ました。ダイアモンドを見るかのように、ヨギさんをじっと見つめて、憧れて、みんなの目がキラキラしていました。ヨギさんがまだ何も言わないうちに、私の隣に座るミラバイさんが泣き始めました。みんなも、まるで子供が親を求めるかのように、涙を流していました。私も影響されて、涙が出て止まらなかった。私はヨギさんの目を見ることさえできず、恥ずかしくて、ヨギさんと目を合わせられなかったです。

京都にいる時は、アーサナクラスや朝の瞑想などでスケジュールが詰まっていたため、そのサットサンガの時は、私は体調があまりよくないまま、お腹も空いていた状態でヨギさんにお会いしました。(お腹が空いていた理由は、いつも台湾では同じ時間帯に食事をしていたけれども、京都では食事の時間が全然違っていたからです)

サットサンガの後、宿泊先に戻って食事をしました。楽しくご飯を食べながら、私はクラスですごく泣いていた先輩に質問しました。「どうしてそのように泣いてしまうのですか? 泣く時は何を考えていますか?」。その時、その場にいた他の人が、彼女は昔はもっと泣いていたよ、今は随分泣かなくなったよと冗談を言いました。彼女自身は、実は神に近づきたいと思っていると自然に涙が出てきて、その時は何も考えていなくて、ただ神に包まれている用に感じるから、と答えてくれました。その時、私はそれが悲しみの涙だとずっと思い込んでいたことに、突然気づきました:目で見るものは本当のものではないかもしれない。それは自分の頭がその考え方を作り出したということに過ぎないのです。自分はそのように思い込んでいましたが、実は事実とは全然違いました! リンはいつも「私たちが真理、真実を知らなければならない」と言ってくれます。その理由が、今やっと分かりました。このことがきっかけになり、私の頭から作り出した考え方は真実の私を隠して、真実ではない世界を見せて私を騙していることに気づきました。それは自分のこれまでの経験や習慣によって作り出したものです。

(続く)
by ヴィヴィ

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